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掲載日:平成16年8月1日
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| 夜空に勇壮に浮かぶ弘前ねぷた |
ねぷたまつり
いよいよ今日からねぷたが始まります。ねぷたが大好きで毎年参加している玉ちゃんはこの日を心待ちにしていました。それにしてもこの勇壮なねぷたはいつから始められたのでしょうか。玉ちゃんは坂上田村麻呂と関係があると聞いていましたが、お父さんはそれ以外にも由来がありそうだと話してくれました。興味をもった歩キ目デスの玉ちゃんは、さっそく調べることにしました。
田村麻呂伝説
今から約千二百年前、東北地方に「えぞ」とよばれ、天皇の命令に従わなかった人々が住んでいました。困った朝廷は坂上田村麻呂という強い将軍にえぞを討つよう命じました。しかしえぞは強く、さすがの田村麻呂も攻めあぐみました。そこで一つの計略を思いつきました。大きな灯籠を作り、笛や太鼓で敵をおびき寄せたのです。
何が起こったのか、思わず見に来た敵を田村麻呂はたちまちとらえてしまったのです。この大灯籠がねぷたの始まりと言われているのです。
為信の大灯籠
次は津軽の藩祖為信公の大灯籠説です。為信公が1593年、京都に滞在中、家臣の服部長門守に大きな灯籠を作らせました。そしてお盆の時に京都の町を練り歩き、京の人達を驚かせたのです。それまで田舎大名と思った人達も「津軽の大灯籠」として為信公を見直し、それが形をかえながら現在のねぷたになったということです。
ねむり流し説
三つ目は「ねむり流し」説です。農家の人達にとって夏の暑い時期は、作業をするのに最も大変な季節です。それでなくても暑さで体力がうばわれ、疲れやすく眠気をもよおします。この眠気を津軽弁では「ネプテェ」といいますが、その睡魔を追い払い、秋の農作業を頑張り、豊作を祈るための呪術的行事として眠り流しを行ったということです。何でも藩政時代以前から、旧七夕の頃に、子ども達がさおに提灯をつるして眠気をはらうために村を練り歩いたのだそうです。「ネプテ」から眠り流しの行事としての「ネぷタ」になったのではないかといわれています。
以上の三つの説がありますが、玉ちゃんは眠り流し説が有力だと思いました。それは、ねぶたの他に東北各地の夏祭りを調べてみたら、ねぷたと似た眠り流しの行事があったからです。
○能代市 「ネプ流し」
○鹿角市 「花輪ネプタ」
○秋田市 「竿燈」
○男鹿市 「山ドンド」
○横手市 「ボンデン」など。
形は違っても、大きな提灯や灯籠、おはやしはねぷたと共通性があります。このような眠り流しの行事は、農業を営む人達が一年中で最も疲れる時に仕事を意欲的にやるための、心の活力を生み出す工夫だったのではないでしょうか。「ヤーヤドー!」暑さに負けず張り切って叫ぶ玉ちゃんでした。