
掲載日:平成16年8月10日
今日は、鬼沢(おにざわ)地域に伝わる「鬼伝説」をしょうかいします。
むかしむかし、鬼沢が「長根派(ながねはだち)」とよばれていたころ、弥十郎(やじゅうろう)が山へたきぎを取りに行きました。すると、森のおくから、大人(おおびと)があらわれました。弥十郎と大人は、とてもなかよくなり、毎日すもうをとって遊ぶようになりました。このすもうをとった場所が、『鬼の土俵(どひょう)』とよばれており、むかしは、そこだけ草が生えないふしぎな場所でした。
また、大人は、赤倉の山と行ったり来たりすると中で休んだり、村人と話をするためにこしかけたと言われる『かしわの木』があります。大人は、人と話をするときは、すがたを見られてはいけないとも言われていました。そのために、かしわの木にすわって話をしたといわれています。ふつうのかしわの木とはちがって、えだが横に広がるようにのびています。みきの太さは、三年生が五人くらい手をつないだぐらい。えだの広がりは三年生が二十一人ぐらいのはばがあります。あまりにも、横に大きく広がっているので、支えるためのそえ木をしています。このかしわの木は、大きくて重い大人がすわったからといわれています。
ある日、弥十郎が、村の田んぼに水がなくて困っているはなしを大人にしました。大人は、
「それでは、わたしが仕事をしているすがたをぜったいに見てはいけない。」
と言い、一夜にして王余魚沢用水路(かれいさわようすいろ)を作ってくれました。これは、『逆堰(さかさぜき)』とよばれるせきで、目の錯覚(さっかく)で、低い方から高い方に水が流れているように見えます。実際に行ってみると、本当に水の流れが逆さまに流れています。今でも、鬼沢の田んぼをうるおしてくれています。ところが、その大人の仕事を、弥十郎のあっぱ(おくさん)が見てしまったのです。そして、大人は、自分が使っていた鍬(くわ)とミノ笠をおいて、すがたを消してしまったのでした。
そして、村人たちは、大人からのめぐみの水で田畑を作れるようになったので、大人に感謝し、鬼神様(おにがみさま)としてまつり、地名が「鬼沢」となりました。ですから、鬼沢の鬼には、「つの」がありません。とっても力強くやさしい鬼なのです。鳥居(とり)の「鬼」の字には、一番上の「ノ」がないのです。今でも、鬼神社には、大人の使った鍬(くわ)がかざられています。夏休みのドライブのと中に、ぜひ鬼神社をたずねてみてください。
