消えゆく遺跡たち@
〜福村の早稲田遺跡〜
     掲載日:平成16年8月29日

《現在の早稲田遺跡》 《今から千年ほど前−平安時代−のサイコロ》 《サイコロの平面図》
※「弘前市内遺跡発掘調査報告書3」(弘前市教育委員会)より

早稲田遺跡の大発見

 それは、平成十年六月のことでした。弘前市教育委員会の発掘作業をしていた藤田さんは、キャラメルのハイソフトの形によく似た石を発見しました。
 石にしては形が整っているなあと思いながら、土を落として洗ってみると、側面に、丸い粒のようなものがきざまれています。底面には、漢字のようなものがきざんであるようでした。
 それは、「五」と「六」のように見えます。そして、側面の丸い粒を調べてみたら、「・」「・・」「・・・」「・・・・」となっていたのです。
「あっ!サイコロだ。」と思ったのでした。
 それは、大発見でした。青森県では、初めて発見された、今から千年ほど前の平安時代の石で作られたサイコロだったのです。


サイコロの発見例と遺跡の位置
 これまでに、青森県では、弘前市の草薙小学校の近くにある宇田野遺跡で、粘土で作られた焼き物の、立方体の形をしたサイコロが見つかったことがありました。しかし、石で作られた直方体のサイコロは県内で初めてのものだったのです。
 チャートという石で作られたサイコロが発見された遺跡は、早稲田遺跡といいます。
 弘前市の中央から東よりにある福村小学校から三百メートルほど離れた所にあり、保育園みのりの、道路をはさんだ向かい側にあります。
 城東第五地区土地区画整理事業によって、水田や畑が宅地化されることになり、その前に発掘調査を実施していたのでした。


サイコロの歴史

 ところで、サイコロは、今から五千年ほど前のエジプトで存在していたと言われています。それが、ギリシャやローマに伝わり、中国をへて日本に伝わったのは、今から約千二百年前の奈良時代であろうと考えられています。
 それが、二百年ほどの間に、弘前市の福村地区にも伝えられていたのです。情報化が進んだ現代では、とても長い時間のように感じられますが、交通の事情も今とは比べものにならないほどの時代ですから、とてもすごいことなのです。


発見されたサイコロのおもしろさ
 さて、この早稲田遺跡のサイコロ。ふつうのサイコロは立方体なのですが、直方体の形をしているのです。
 そして、側面には「・」で、一から四が、底面には、漢字で五と六がきざまれています。これでは、五と六はなかなか出ませんね。五と六が出ないための智恵でしょうか。
 また、平安時代に、漢字の五と六というのも、興味深いことです。この時代に、漢字を理解し使っていた人はどれだけいたでしょうか。そうやって考えると、早稲田遺跡にはかなりの教養のある人がいたのではないかと思えてくるのです。


消えゆく早稲田遺跡

 発掘調査を担当した弘前市教育委員会の成田正彦さんは、「早稲田遺跡からは、炭化して炭のようになった米や粟、豆などがたくさん出土しているので、きっと豊かな集落だったのではないでしょうか。集落を守るように、たくさんの堀も見つかっているのですよ。」と話しておられました。
 今、城東第五の土地区画整理事業が終了し、早稲田遺跡の上には、たくさんの家が建ち始めています。平安時代の遺跡がそこにあったことすらわからなくなりつつあります。でも、最近、城東第五地区の新しい住所が決まり、早稲田という町名ができたようです。早稲田遺跡の大発見や、古い歴史はその町名に語り継がれていくものと期待しているところです。