平成2年、弘前市制(しせい)100周年を記念して東奥義塾高校跡地につくられました。広場内には、市立観光館、山車(だし)展示館、郷土(きょうど)文学館、市立図書館、旧市立図書館、旧東奥義塾(きゅうとうおうぎじゅく)外人教師館等がととのえられ、観光・文化の中心として多くの人に親しまれています。

名 前 弘前市立観光館(かんこうかん)
所在地 弘前市大字下白銀町2-1
・弘前市をおとずれる観光客に対して観光にかんすることを何でも教えてくれるインフォメーション。
・コンピューターを使った観光情報や、津軽広域観光圏(つがるこういきかんこうけん)23市町村の物産品の展示コーナー。
・その昔、津軽藩の飛び地だった群馬県尾島(おじま)町と、津軽藩士が北方警備をした北海道斜里(しゃり)町の友好都市紹介コーナー。
・日本最北端の伝統漆器津軽塗(でんとうしっきつがるぬり)の48工程や、最新の津軽塗作品を展示する津軽塗コーナー。
・ヒバ工芸、津軽焼、下川原土人形、あけびづる細工、こぎん刺しなど津軽の伝統工芸品のコーナー。
・津軽のほこるべき文化津軽弁(つがるべん)を標準語と対比させながらおもしろおかしく紹介する津軽弁コーナー。

名 前 山車展示館(だしてんじかん)
所在地 弘前市下白銀町2-1 弘前市立観光館別館
天和:てんな2年(1682)、4代藩主 津軽信政(のぶまさ)の時代、弘前八幡宮祭礼のおり、神輿(みこし)のつゆはらいとして各町内の人々によってくり出されたのが始まりで、後に津軽藩の殿様が2年に1回、参勤交代からもどられたときに行われていました。その後、ねぷたまつりにも影響をあたえました。
現在残っている7つの山車を保存展示している。また、ねぷたまつりの時に出る津軽剛情張大太鼓(つがるごうじょっぱりおおだいこ。直径4m)も展示公開しています。
・和徳町(わっとくまち)−米 山(こめやま)
・茂森町(しげもりまち)−大根山(だいこんやま)
・紺屋町(こんやまち)浜の町(はまのまち)−紅葉狩山(もみじがりやま)
・東長町(ひがしながまち)−布袋山(ほていやま)
・本 町(ほんちょう)−黄石公(こうせきこう)と張良山(ちょうりょうやま)
・土手町(どてまち)−猩々山(しょうじょうやま)
・鍛冶町(かじまち)−道成寺山(どうじょうじやま)

郷土文学館(きょうどぶんがくかん)
1階
○明治以降活躍した郷土出身の作家9名の関係資料展示コーナー
・陸 羯南:くが かつなん(評論)
・佐藤紅緑:さとうこうろく(小説)
・葛西善蔵:かさいぜんぞう(小説)
・福士幸次郎:ふくしこうじろう(詩)
・一戸謙三:いちのへけんぞう(詩)
・高木恭造:たかぎきょうぞう(詩)
・平田小六:ひらたころく(小説)
・今 官一:こんかんいち(小説)
・太宰 治:だざいおさむ(小説)
○津軽の詩人の方言詩コーナー
2階−石坂洋次郎(いしざかようじろう)記念室
○弘前市代官町に生まれた、小説家石坂洋次郎の誕生から没年までを、作品、映画関係資料、遺品などによりわかりやすく解説している。

弘前市立図書館(ひろさきしりつとしょかん)
現在の図書館は平成2年に建てられました。1階には、一般書コーナーやこどもコーナーの他、りんごコーナー、新聞・雑誌コーナー、視聴覚コーナーなどがあります。2階には、調べものや研究、勉強などに利用する調査室、読書学習室、点字読書室などがあります。
・おたのしみ子ども図書館や図書館ワンパク探検などいろいろな活動をとおして読書の推進をしています。
・移動図書館車『はとぶえ号』に約2000冊の本を積んで市内14カ所を決まった日時に回っています。

名 前 旧弘前市立図書館(きゅうひろさきしりつとしょかん。県重宝。)
所在地 弘前市下白銀町5
建立年 明治39年
この建物は、陸軍第8師団や鉄道工事などで成功した斎藤主(さいとうつかさ)ら5人が資金を提供し、明治39年3月に市に寄付されたものである。設計・施工(せっけい・せこう)は洋風建築で有名な棟梁(とうりょう)堀江佐吉(ほりえさきち)が当たった。
ルネッサンス様式を取り入れた木造三階建てで、延べ床面積は254uある。左右に八角の塔(とう)を二つもつ特徴的な外観(がいかん)をしている。外壁(がいへき)は白、屋根は赤、窓わくなどは緑にぬり分けられている。
昭和6年まで市立図書館として利用されたが、その後民間にはらい下げられ市内富野町で1階は喫茶店(きっさてん)、2・3階はアパートとして利用されるなどした。平成2年、弘前市市制100周年記念事業の一環として、現在の追手門広場に旧東奥義塾外人教師館と共に移された。平成5年3月県重宝に指定された。

名 前 旧東奥義塾外人教師館(きゅうとうおうぎじゅくがいじんきょうしかん)
所在地 弘前市白銀町2−1
建立年 明治34年
この建物は、レンガ積みの土台の上に建てられた木造2階建ての建物である。延べ床面積は280uである。
以前の教師館が明治32年に火災にあい、新しく建て直されたものである。設計者・施工者(せっけいしゃ・せこうしゃ)とも定かでないが、設計はメソジスト本部とする説とクリスチャン棟梁本間俊平(ほんましゅんぺい)とする説、施工についても堀江佐吉とする説と本間俊平とする説がある。
外からながめると外壁(がいへき)は下見板張りで白ペンキ塗りであるが窓わくや軒(のき)まわり、ひさし等は緑色に塗られ縦横のアクセントがつけられている。また、屋根はひし形の鉄板で赤く塗られている。
東奥義塾は明治6年に創立(そうりつ)された学校であるが、旧津軽藩校「稽古館(けいこかん)」の伝統を受けつぎながらも、慶応義塾(けいおうぎじゅく)の制度やカリキュラムの影響(えいきょう)を受け、文明開化を学ぶために外国人教師を招いていた。その外国人教師の住宅として建てられたのが外国人教師館である。
平成2年、市制100周年記念事業の一環(いっかん)として、旧私立図書館とともに、追手門広場に修復(しゅうふく)された。平成5年県重宝に指定された。
なお、追手門広場は、東奥義塾高等学校のあと地に整備されたものである。