校  訓
 
 
『天下賢』
昭和47年9月制定
平成19年9月制定
『天下賢』(てんかのけん)の由来

石碑の書は,工藤甲人画伯直筆によるものです。

 氏は,城東小学校学区出身の日本画家です。
 東京芸術大学で12年間、日本画を教えていました。弘前市名誉市民です。
 弘前文化センターの緞帳(どんちょう)「春帰来」も甲人さんの作品です。
 甲人さんは、実家の農業を手伝っていましたが、どうしても絵の勉強がしたくて東京へ行き、日本画を学んだそうです。
 津軽の自然を思わせる、現実のような夢のような不思議な作品には、昆虫や植物が描かれています。
 アトリエに付けた名前は「蝸牛居」。歩みは遅くても確実に前へ進むカタツムリのようでありたいとの願いから付けたそうです。

 
 カタツムリの歩みは遅いが
希望は千里を目指しているの意。
 歩みは遅くても確実に前に進む
カタツムリのようでありたいという、
弘前市生まれの工藤甲人画伯の座右の銘より、
平成19年9月の創立50周年記念式典において
第二の校訓とした。
『蝸牛遅々望千里』(かぎゅうちちぼうせんり)の由来
 これは弘前に生まれ、少年期、朝夕岩木山を
仰ぎ見て育ち上京し、日本を代表する
明治の言論人となり、今でも多くの人に尊敬されている
陸羯南(くが かつなん)の詩

   名山出名士 此語久相伝
   試問巖城下 誰人天下賢

 【読み方】
   名山名士を出だす  (メイザン メイシヲ イダス)
   この語久しく相伝う  (コノゴ ヒサシク アイツトウ)
   試みに問う巌城の下 (ココロミニ トウ イワキノモト)
   誰人か天下の賢   (タレビトカ テンカノケン)

 【意味】
   立派な山は立派な人を生み出すということが
  長い間言い伝えられてきましたが、
  それなら名山岩木山の麓に生まれた人の中で、
  誰が一体天下の賢と言われるほど立派な人なのか。

から生まれたものである。
 常に自分でも天下の賢を志した人であり、
それだけに、郷土の青少年に対し、
みんなよく遊びよく学んで、
天下の賢となろうと努力するよう期待していた。

 その強い期待を本校では、
昭和47年9月の創立15周年記念式典において
校訓とした。 
 

 書は,本校にゆかりの深い小田桐孫一氏によるものです。

 氏は,城東小学校学区出身者です。(城東小学校の前身については,本ホームページの『学校の概要』のページに記載されています。)弘前高校校長・藤崎町教育長を務めました。
 他に,城東小学校校歌の作詞,小連体の歌「みんな仲間だ」も作詞しています。
 校長時代には、よく学生たちに向かって,「天下の賢」の話をしていたそうです。

『蝸牛遅々望千里』