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撮影ポイント ホール南側写真 ホール南側
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■建築概要

■設計・管理 / 株式会社前川國男建築設計事務所

[構造:横山不学建築構造設計事務所/音響:石井聖光/舞台:穴沢喜美雄]

■竣工 / 昭和39年4月

■位置 / 青森県弘前市大字下白銀町1番地6(弘前公園地内)

■外装躯体 / コンクリート打放肌カランラテックス塗仕上

■建築総面積 / 5,594平方メートル

[大ホール棟:3,578平方メートル/車寄棟:622平方メートル/管理棟:1,394平方メートル]

■施工 / 建築主体工事:清水建設株式会社

[電気設備工事:三機工業株式会社/衛生設備工事:株式会社西原衛生工業所/冷暖房設備工事:株式会社朝日工業所/舞台機構:三精輸送機株式会社/緞帳・舞台幕:株式会社川島織物/大道具・定式:森平舞台機構株式会社/移動家具:山口機材工芸株式会社]


■日本の近代建築家 前川國男

■略歴

 1905年5月14日生まれ。1928年東京帝国大学工学部建築学科を卒業。卒業と同時にパリに赴き、ル・コルビジェのアトリエで二年間学ぶ。帰国後、レーモンド建築設計事務所を経て、1935年前川國男建築設計事務所を設立。50年にわたる建築家としての活動の間に日本建築家協会会長、UIA副会長などを歴任する。
 日本建築学会大賞、朝日賞、毎日芸術賞、オーギュレスト・ペレー賞など多数受賞する。
 代表作には、東京文化会館、紀伊国屋書店、京都会館、熊本県立美術館、東京海上ビルがある。1986年6月26日没。享年81歳。


■弘前とのかかわり

 弘前と前川國男との背景には奇遇ともいえる人と人とのつながりがあった。
 前川國男は、前川貫一、菊枝の長男として新潟に生まれる。父方は旧彦根藩士、母菊枝は津軽藩の忠臣として知られた田中太郎五郎の子孫、田中坤六の娘である。また、菊枝の兄尚武は明治の外交官佐藤愛麿(津軽藩重臣)の養子となり、後に参議院議長、国連大使、東京青森県人会会長などを務める。また、菊枝の妹は青森県下の富豪として知られた五所川原布嘉、佐々木嘉太郎に嫁いでいる。縁とは不思議なもので、前川國男が東京大学を卒業、ル・コルビジェのアトリエへ入る際、佐藤尚武が国際連盟事務局長としてパリに駐在、後見人として自宅に預かることとなる。
 一方、津軽藩主承昭公が東京に移ったとき随従し、後に大阪土木や広島電力などの社長を勤めた旧津軽藩重臣で弘前出身の実業家、木村静幽がいる。彼は晩年、郷土弘前に地場産業の研究所設立を決意するが実現せずにこの世を去る。その孫である木村隆三が後にその意を託され理事長となる人だが、駐仏武官としてパリに在住、佐藤尚武を通じ前川國男とも親交を結んでいたのである。
 前川國男は帰国後、東京レーモンド建築事務所に入所。まもなく木村隆三から木村産業研究所の設計依頼を受け、前川國男の名で手がける最初の建物となる。また、その後には、木村隆三の兄信吾が県立中央高校PTA会長を務めていたこともあり、同校創立五十周年記念事業として講堂の設計依頼を受ける。こうした積み重ねにより前川國男と弘前とのつながりはより一層緊密なものになっていったのである。
 弘前には前川國男の初期から晩年までの作品八点が現存する。


■弘前の作品

・木村産業研究所/1932/RC2階建 ・弘前市立博物館/1976/RC2階建
・弘前電燈株式会社/1933/木造2階建 ・弘前市緑の相談所/1980/RC2階建
・弘前中央高校講堂/1951/RC2階建 ・弘前市職員駐輪所/1982/S造2階建
・弘前市役所/1957/RC4階建-増6階 ・一番町中央公園/1982/東屋つき
・弘前市民会館/1964/RC2階建 ・弘前市斎場/1982/RC2階建
・弘前市市立病院/1971/RC6階建


■大ホール緞帳

■御鷹揚げの妃々達々 - おんたかあげのひひたちたち -

 原画は、津軽の生んだ世界的版画家、故棟方志功画伯が精魂込めて制作したもので、弘前市を象徴する鷹揚城に四人の若々しい娘たちが跳躍し、春夏秋冬の四季を表現したものといわれています。


■BELCA賞表彰

■平成8年度BELCA賞ロングライフ部門受賞

 BELCA賞とは、社団法人建設・設備維持保全推進協会(BELCA)が実施、適切な維持管理を行っている建築物の中で特に優良な建築物の関係者におくられるもので、弘前市民会館は、隣接する弘前市立博物館とともに【ロングライフ部門】-建築後20年以上を経過している建築物で特に優秀な建築物に与えられる賞-を受賞しました。


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